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6月30日(土)から新潟市新津美術館で開催されている「鉄腕アトム連載60周年・映画ブッダ製作記念 手塚治虫展」。現在のマンガ・アニメに多大な影響を与えたマンガ家でもあり、アニメーション作家でもある手塚治虫先生の手掛けたマンガ原稿やアニメセル原画、作品に込めたメッセージなどの資料が展示された展覧会です。

今回は展覧会の様子と、7月29日(日)に行われた手塚治虫先生のご長男で映画監督などを務めるヴィジュアリスト・手塚眞さんの講演会のレポートに合わせまして、手塚眞さんのインタビューをお届けします。



■展覧会レポート

■講演会「父・手塚治虫の素顔」

■インタビュー:手塚 眞さん


■展覧会レポート

マンガ関連の資料を展示した展示会場には、手塚先生の子どもの頃に作った作品や、マンガ家としてデビューしてからのマンガ原稿やカラー原稿、設定資料などが多数展示されています。

展示物には、手塚先生がそれまでのマンガにはない”新しい手法”を多数取り入れて表現した作品が解説付きで紹介されています。


手塚先生が生み出した作品は、ロボットの主人公・アトムが近未来で活躍する「鉄腕アトム」、アフリカのジャングルを舞台にした大河ドラマ「ジャングル大帝」、医療マンガの代表作「ブラック・ジャック」、人間の負の内面を描いた「人間昆虫記」など多数のジャンルが存在し、現在のマンガ・アニメの基盤になっているそうです。


また、こちらの展示会場ではマンガに関する資料のほかにも手塚先生が愛用していたベレー帽やメガネ、作業をしていた机の再現セットも展示されています。

▲手塚治虫先生のマンガの描き方に関する資料。ストーリーやキャラクターデザインなどの原稿が並びます。

▲手塚治虫先生が愛用したトレードマークでもあるベレー帽とメガネ、またマンガ制作に使用したペンなども展示されています。

続いてアニメ資料の展示会場へ。


ここでは、日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の資料から昨年公開された劇場作品「ブッダ」までの絵コンテのほかに、原画、セル画、動画の仕組みが分かるセット、制作過程の様子を収めた映像などを展示。また各作品の紹介と合わせて手塚先生が作品に込めたメッセージも掲げられています。

▲アニメ「鉄腕アトム」のセル画と手塚先生が手掛けた原画の展示。

▲アニメ「ジャングル大帝」の絵コンテ。アニメ制作に使用される絵コンテの基本的な描き方は、この時には確立していたようです。

マンガ家・アニメーション作家として、日本が世界に誇るマンガ・アニメの基礎を作り上げた手塚先生の貴重な資料が見れるまたとない機会でもある本展覧会。開催期間は、8月26日(日)までとなっています。


以上、展覧会レポートでした。


■講演会「父・手塚治虫の素顔」/講師:手塚 眞さん

7月29日(日)、本展覧会の特別プログラムとして講演会「父・手塚治虫の素顔」と題し、講師に手塚先生のご長男で映画監督などで活躍するヴィジュアリスト・手塚眞さんが招かれ、父親・マンガ家それぞれの様子について語られました。


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~“優しい天才”の父・手塚治虫~

手塚眞さんは父である手塚先生を“優しい天才”と言い表していました。

数々の名作マンガを生み出し、仕事に対してはとても厳しかった手塚先生だそうですが、父親としてはとても優しい人だったと眞さんは語ります。偉そうにしたり気難しいようなことは全くなく、一人の人間として優しい人であろうとしていたそうです。

その優しさの原点は、先生が中学生の頃に体験した太平洋戦争にまで遡り、明日には自分が死ぬかもしれない状況の中、自分よりはるかに立場の弱い虫の命を心配していたそうです。その弱い者を気遣う優しい性格は作品中でも、日々の生活の中でも現れていたと語られていました。


~莫大な仕事をこなした手塚治虫~

手塚先生が描いたマンガ原稿は現存するものだけで約15万枚に上るそうです。この枚数は、毎日8~9枚仕上げてようやく到達する数になるとの事です。また、同時にアニメ制作も手掛けていたため、仕事量はとにかく莫大なものだったと語ります。

最も人気があった頃は3~4本のマンガを同じ時期に複数の雑誌で掲載をしており、一度に描かないと間に合わないということから、各作品の原稿を並べて同時に描いていたこともあったそうです。

~多くの名作とジャンルを生み出した~

手塚先生の作ったマンガの数は題名が付いているものだけで約700本。その作品の中には「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」「火の鳥」といった名作が多くあり、これだけ名の知れた作品を生み出したマンガ家は父以外にはいないと語ります。

また、手塚先生はマンガに初めて文学的要素を取り入れて、子どもだけでなく“大人も読む事ができるマンガ”を作ったそうです。

加えて新しい手法やジャンルを多数生み出し、マンガの表現の幅を拡げていったとの事。『連載作品』『少女マンガ』『魔法少女モノ』など、現在は当たり前に描かれる手法やジャンルの原点が手塚先生の作品にあるそうです。


~マンガ・アニメの文化的価値を高めた先導者~

マンガやアニメに文学的価値はないと思われていた事を嘆いていた手塚先生は積極的にメディア出演や講演活動を行い、マンガやアニメの素晴らしさを伝えていたそうです。

また近年「マンガ」「アニメ」は国際語として使われ、世界的にも文化的価値のあるものとして認められるようになっている事について、「手塚治虫という先導者がいなければここまで価値が上がることはなかったと言っても過言ではない」と眞さんは語ります。


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最後に眞さんは手塚先生を「マンガのような楽しい人でした」と語ります。家族といる時は笑顔が絶えない、とてもユニークでマンガらしい父親だったそうです。

マンガ・アニメに多大な影響を与えた手塚先生の人柄を知る事ができる大変貴重な講演会となりました。


■インタビュー:手塚 眞さん

講演会終了後、手塚眞さんに改めて父・手塚治虫先生の印象とファンへのメッセージを語っていただきました。

――手塚治虫先生の人柄をどう感じていましたか?


手塚眞さん

『ザ・マンガ』とでもいいましょうか(笑)とにかく、父ほど『マンガ』という言葉が似合う人はいないと思います。

マンガは自分の印象ですと、朗らかに笑える楽しい感じがするものだったんですね。例えば少し変わった転び方をする人を見た時「あの人マンガみたいだね」なんて言ったりする事を耳にすることがありますけど、父はまさにそんな感じに見えたんですよ。

動いているところを見ると、マンガに出てくるキャラクターのようにコミカルな動きをしていました。

ですが、仕事に対しては人一倍厳しい人でもありました。でもそれは、マンガを愛しているからこその表れでもあったわけです。

仕事に対する姿勢やマンガのような雰囲気など、とにかく『マンガ』という軸からブレない人だと感じていましたね。


――手塚先生の作家としての姿勢について教えていただけますか?


手塚眞さん

マンガやアニメは一つ売れた作品があると、その流れに乗って似た作品を作るといった傾向に行きがちと感じます。ですが、父はそれを嫌っていまして、同じ事は二度やらないというプライドを持っていました。たとえ売れなくても誰もやっていない事への挑戦を常に考えていたようです。

ですので、父のライバルは過去の自分自身だったのではと思います。極端な時は子どもマンガを描いていたと思ったら、急に子どもが読めない大人向けの作品を作ったりもしていましたし。

しかし、それはひねくれてやった事ではなく、過去の自分に対する挑戦であったわけですよ。また、過去にやった事を完全にやめるかと言ったらそうでもなかったわけです。

やはりマンガは本来楽しむものですから、大人向けのシリアスな作品であっても笑える要素は必ず取り入れていました。父はマンガならではの自由さを最大限に活かしていたのだと思います。


――ファンの方へメッセージをお願いします。


手塚眞さん

『手塚治虫』の名前は誰でも耳にしたことがあるでしょうし、作品にも一度は触れていると思います。しかし、有名すぎて逆に見落としている事もあるかもしれません。

ですので、改めて手塚作品を見直してみてことをおすすめします。新しい発見が必ずあるはずなので。

また、これからマンガ家やアニメーターを目指す方は、単純に昔の作品と思わずにじっくり見てもらってこれからの作品制作の参考にしていただければと思います。


ⓒ手塚プロダクション

にいがたマンガ大賞